バリ島の田園風景

 

ここまで我が家のバリ島での出産事情を書いてきまして、うちの奥さんから補足が入りました。(^_^;

まず、自宅水中出産を行ったバスタブは、助産師さんが来て、なんとフラワーバスにしてくれていました。

(いや~確かに!大切な事を書き忘れていました。m(__)m)

バリ島でそこそこ以上のスパを利用すると、最後にフラワーバスを用意してくれたりするのですが、なんと自宅のバスタブまでわざわざ花びらを持参していただき、フラワーバスにしてくれたのです。

これは、一年中花が咲き乱れている南国バリ島ならではのサービスですよね。

確かにうちで働いてくれていたベビーシッターさんも、内職で落ちている花びらを集めては売っていました。(^_^)
ああいった花は、こんなところにも使われているのですね。

それから、娘の頭だけが出てきた後、お湯の中で次の陣痛の波がくるまで待っている間の数分間、助産師の方は最初は羊膜をかぶって出てきた娘にビックリしていたようですが、その後は三人で静かに、歌のようなマントラを唱えてくれていました。

アメリカ人とカナダ人の助産師さん達でしたが、どうも英語の歌ではなかったので、インドネシア語なのか、バリ語なのか、はたまたサンスクリット語か何かなのかは分からなかったのですが、三人で声を合わせて、かつ静かにマントラの歌を歌い続けてくれていました。

うちの奥さんは、この辺りの事が強烈に印象に残っているようです。
さて補足が長くなってしまいましたが、話を前回の続きに戻しましょう。

娘が生まれてきて一段落。

胎盤が出てくるまでの間、しばし休憩状態です。

この頃、ちょうど友人達が外に連れ出していてくれていた上の娘達が帰ってきたので、妹が生まれた事を伝え、バスルームの中で初めての対面を果たしました。
妻は、一番上の娘からは後で「どうして立ち会わせたくれなかったの?」と文句を言われていましたが・・・(^_^;

そしてこの間、僕の母親が出産の手伝いとしてバリ島まで来ていてくれたのですが、イブ・ロビン(助産師さん)は母を捕まえて台所まで連れて行き、

「ミソ・スープ!ミソ・スープ!」

と、みそ汁を作る事を指示したそうです。

英語もインドネシア語もさっぱり出来ない母でしたが、「ミソ・スープ」が「みそ汁」だという事は理解できたらしく、みそ汁を作ってくれたのですが、その間イブ・ロビンは台所の椅子の上であぐらをかいて、瞑想を始めて待っていたそうです。・・・さすが。(^_^;

また、なぜかロウソクが必要だという事で、ゲストハウスの大家さんにお願いして、急遽ロウソクを買ってきてもらいました。

やがて胎盤も無事に出てきたので、妻と娘と胎盤はバスルームから寝室へ移動する事となり、二人の助産師さんに脇を抱えれて、妻は隣の寝室のベッドに移動しました。

この間、まだへその緒は切っていません。娘と胎盤はへその緒でつながったままです。

胎盤は助産師さんが、空豆をでっかくしたようなプラスチック製(これぞバリ島)トレイに入れて一緒に運んでくれていました。

そしてベッドに移動してから、その胎盤はあらかじめ用意しておいた素焼きの陶器の中に移されました。

この素焼きの容器、実は骨壺なのです。

出産日が近づいてきた時に、イブ・ロビンからこちらで用意しておく物の指示がありました。
そのリストの中に骨壺が入っていたのですが、はじめは「????」でした。

何の為の骨壺なのか確認すると

「プラセンタのため」

との事。

今でこそ、プラセンタという英語は、化粧品の原料の名前としてだいぶポピュラーになっているようですが、当時「プラセンタ」といわれても「何だっけそれ?」という感じでした。

もう、ご存知と思いますが、プラセンタとは「胎盤」のこと。

なぜ、出産の際にプラセンタの為の骨壺が必要かというと、バリ島では実は胎盤は生まれてきた赤ちゃんの双子の兄弟だと考えられているそうなのです。

なので、普通バリ人が出産すると、胎盤は病院や助産院で処分される事はなく、出産した家族が持ち帰り、自宅の敷地内に赤ちゃんの分身として大切に埋葬されるらしいのです。

そして、生涯その場所に祈りを捧げ、捧げ物をするそうなのです。
この胎盤がある為に、バリ人は島の外に出て行く事があっても、必ずまた生まれた土地に帰ってくる事が出来ると信じられているようです。

なので、そのゲストハウスで出産をするという事を決めた時に、大家さんのお父さんがその事をとても心配していて、「胎盤はどうするのか?」と大家さんから確認されました。

つまり、うちがそのゲストハウスで子供を産んで、その胎盤をそのゲストハウスの敷地に埋めてしまうと、大家さん家族はその後ずーっとそこをお祀りしなければならなくなるのです。
いつ出て行くかもしれない滞在者の為に、そこまでの責任は負えないという訳です。

しかし、助産院でも処分はしてくれないとの事。

かつて友人の家族が出産した際に、胎盤をフライにして食べたという経験談を聞いた事もあったので、「食べる」という選択肢も検討したのですが、たぶん僕しか食べないだろうな・・・(汗)
という事で却下に。

さて、どうするかと大家さん(奥さんが日本人で、日本で暮らした事もあり、日本語も堪能な方でした。)に相談したところ、
「近くの聖地の川に流すのがいいでしょう。」
という事でした。

で後日、僕がその役目を引き受ける訳ですが、その話はまた後日に・・・
さて、ベッドに移動が完了し、大家さんの家族や、友人達が生まれたての娘の顔を見にきたり、妻は出来上がったみそ汁と軽い食事も済ませました。

この間、娘と胎盤はつながったまま。

すでに、娘が誕生してから3時間近く時間が経っていたと思います。
(日本の助産院で次女を出産した時は、僕と上の娘がへその緒を切らせてもらったのですが、それはもう生まれて胎盤が出てきてからすぐの事だったと思います。)

そこへイブ・ロビンがまた何やら準備を始めました。

用意してあった段ボールの切れ端を持ってきて、その段ボールの切れ込みの部分にへその緒を挟み、買ってきてもらったロウソクを用意して、ベッドの上にトレイを置いて・・・。

さあ何が始まるのやら・・・と見ていると、1本のローソクを渡されました。

イブ・ロビンがもう1本ローソクを持っていて、一緒に火をつけろと・・・

どういう事かというと、このローソクの火でへその緒を焼き切るというのです。

いやぁ、正直「えええっ!?」って感じでした。


先ほど書いた通り、次女のへその緒を、ハサミで切らせていただいた経験はあるのですが、今度は焼き切るのか・・・と。

イブ・ロビンの話だと、この方法が一番赤ちゃんにとってもショックなどの負担が少なく、かつへその緒も早くとれるというのです。

イブ・ロビンとへその緒を挟んで向かい合って座り、イブ・ロビンがへその緒を持ち上げて、娘の体から12~13cmほど離れたところにローソクの火先を持っていき、僕にも自分と同じところに火を当てるように促します。

へその緒を挟んだ段ボールは、この熱に赤ちゃんが火傷したりしないようにする為のシールドだったのです。

ベッドの上に置かれたトレイの上で、娘と胎盤をつなぐへその緒を助産師さんと向かい合いながら焼いていきます。

う~ん正直、バーベキュー状態です。(^_^;(ご気分悪くなる方いらっしゃったらごめんなさい。)
普通に肉の焼ける匂いがして、シューシュー、パチパチと音をたてて肉汁がトレイに落ちていきます。
その汁でローソクの火が消えないように注意しなければならないほどです。

でも、約10分間ほど焼いている間、イブ・ロビンはいろいろと話をしてくれつつ、例のマントラの歌を静かに歌ってくれていました。
妻もその炎をしずかに見つめていて、時々娘もぐずったりしましたがすぐにおとなしくなり、その場にはとても神聖な空気が流れていました。

まあ、神経は繋がってないのでしょうから、熱いとか痛いとかはないのでしょうね。

やがてへその緒は、火が当てられていたところが黒くすすけて縮まっていき、10分ほどでポロッと焼き切れました。

イブ・ロビンは慣れた手つきで、包帯を適当な長さに切り、残ったへその緒をくるんで軽く縛って、ハイ出来上がり。

無事に、へその緒も切る事が出来ました。

後日談ですが、イブ・ロビンが言っていたとおり、へその緒ですが、それから4日ほどでポロリととれてしまいました。
次女の時はへその緒がとれるまで1週間以上かかったように記憶していたのですが・・・。

そして残った胎盤は、例の骨壺のなかに奇麗におさめられ、中には花びらまで飾られた状態で蓋をして、テーブルの上に置かれていました。

これで、今回の大イベントも終了。

陣痛が始まってから、たぶん6時間くらいは経っていたと思います。

イブ・ロビンも、また明日の朝に様子を見に来ると約束して、帰っていかれました。
で、この残された胎盤のお話はまた次回に。

 

今回もまた長くなってしまいました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 
世界に愛と悦びを・・・

MASARU

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