それは奪われたのか?与えたのか?

世の賢者の方々の話を聞いていると、

「世界はすべてバランスが取れている」

という考え方があります。

 

つまり、

「何かマイナスの事がおこれば、同時にプラスの事も起きている。」

そんな考え方。

 

例えば、あなたがお金を支払って何かを購入したとき、

あなたの持っているお金は少なくなりますが、

あなたはそれと同等のものだったり、サービスだったり、体験だったりを

必ず手に入れているのです。

 

でもたいていの場合、貧困意識に慣れ親しんだ僕たちは、

得たものよりも、失ったものにフォーカスしてしまいます。

何かを失った時には、同じだけの価値のモノを手にいれているはずなのに。

 

更に、貧困意識は失ったものを

「奪われた」

と感じさせたりもします。

 

豊かさ意識から見れば、それは

「与えた」

のかもしれないのに。

 

でも、こういった視点の違いは、人それぞれの好みなのでしょう。

「奪われた」と思う人は、自分も誰かから「奪っている」のかもしれません。

そして、そんな奪い奪われるスリリングな世界が好きなのでしょう。

 

同じ事象を体験しても、「与えた」と思える人は、

きっと誰かから「与えて貰い、受け取っている」ことでしょう。

 

二人の間に起こった事は、第三者から見れば、

全く同じ事だったとしても。

 

でも、これからの時代は更に変化するのでは?

そんな風にも感じます。

 

「与える」「受け取る」というのも、何処か分離感を感じます。

 

何となく、これからは

「互いに分かち合う」

そんな言葉がしっくりくるような、気がしています。

 

これも、人それぞれの好みだとは思いますが。

 

あなたは、

「奪い、奪われる」

「与え、受け取る」

「互いに分かち合う」

どんな世界が好きですか?

そして、どんな世界を選びますか?

 

世界に愛と悦びを…

MASARU